お正月

2018年お正月。息子と娘が帰ってきた。

娘は30日の23時から2日の7時前まで。息子は1日の15時から4日の昼前まで。それぞれ3泊だが,友達に会いに出かけている時間も長いから,結局,自宅でゆっくりしていた時間は丸2日足らず(その半分は寝てるんだけど)。

最近,まともな調理をしなくなっていた私は,短い間に二人に食べさせて,「美味しい!」と言わせる料理を作ろうとがんばった。

成果は,カブとホタテの酢の物。あぶり魚と野菜のサラダ。牛肉のレンコン捲き。焼き海老のアボカドソース,筑前煮,白味噌のお雑煮,煮込みハンバーグ,枝豆のスープ等々の和洋折衷の即席料理。どうだ!

かつてのお節料理にかけた手間と執念には程遠いが,子どもたちは,お世辞半分で「美味しい」とは言った(わかってるぞ!)。

でも,私以上に混乱したのは母の方。誰がいつ帰ってきたのか,誰がいつ出かけたのか分からなくなって,息子が二泊した翌朝にも,息子はいつ帰ってくるのかと尋ねる始末。子どもたちも,認知症が進行している祖母にたじろぎ,短い間に同じ話を繰り返す母にどう対応したらよいのか戸惑っている様子だった。

母宛てに年賀状を出してくれた方々に,市販の絵入り年賀状を買って来て宛名書きをしたうえ,「元気です」って書くだけでいいから返信しよう,と準備したものの,その一言がなかなか書けない。子どもたちのフォローで,ようやく10枚を2日かけて完成。

 

年末のケアマネさんとの定例協議では,「自分が忘れたことも認識できない状態になっているので,以前に比べたら不安は少なくなったと思いますよ。でも,長時間目を離せないから,ショートステイを利用することも考えた方がいいかも」と言われた。

 

「かなしいね」と顔を見合わせて語り合うことを恥ずかしいと思う性格の子どもたちと私。でも,二人とも私と同じ思いでいるんだろうな,と思う。

将来の私を見て,「かなしいね」なんて子どもたちには言わせたくないと思う反面,それは母ががんばってきた成果なんだから,とかばいたくなるのは,自分自身が年老いてきたからかもしれないな。

 

次々と新しいツールができて便利になり,その分問題も多くなる世の中。昨夜,最先端のネット業界で働く息子からレクチャーを受けて,改めて時代の変化を実感した。新しいツールを使いこなせない私も,こんな問題を把握して対応する術を身に付けなければ,と新しい時代に思う。

それでも,一方では,母と同じように高齢まで元気なのに認知症のせいで旧来の常識もわからなくなっている人や,それをフォローしなければいけない家族も大勢いるんだろうと思う。

みんなが幸せで,便利で,問題を感じなくてよい世の中になることが理想かもしれないけれど,多分,そんな時代は来ないだろう。他者に起きる問題を敏感に感じること,それに対する改善の努力をしようとすることが,将来にわたっても仕事の本質になるのではないか,と新年に思う。

 

明日からは,母が「お教室」と呼んでいるデイサービスが始まり,母の日常が回復する。私の仕事始めまで数日の自由時間を楽しもう。