生まれて30年目の日

いよいよ、いよいよと思っていた30という区切りを迎えた。

ぎりぎり昭和の63年、30年前の今日、母に生んでいただいた。

当然ながら私はまったく覚えていないけれども、母の話によると、当時母は人生をかけた大きな試験の真っ最中。つわりと戦いながら勉強し、おなかが大きいままで最終の弁論試験を乗り越えた。

同情票をもらったんだろうね、とか、あなたがおなかから合格を持ってきてくれたんだよね、とか、いつも笑って話す母。

出産の経験をしたことがない立場ながらも信じられない快挙というのか、母親というものの胆力というものにつくづく驚き、かなわないと思うばかり。年を重ねるほどにその大きさを分かるようになってきました。

29で母は兄を生み、33で私を生んだ。母が母になった年を超えてしまったなあ、と思いつつ、時代も違うしそんなものはタイミングだし、まあ仕方ない、と思う(しかない)。

 

小娘にとっても30という区切りはそれなりに大きなポイントで、ちょうど1年前の今、30歳を迎えて自分なりに納得できる人生を生きていないって嫌だなと、組織を離れることを決めたりもした。

この1年は、なんだかまとまりのつかないことをてんでばらばらにやってきた自覚はあるが、すごく貴重で大きな糧になる経験をつめたはず。

 

今日から人生30年目、わちゃわちゃとしてしまう性格は変えられなくても、自分なりに方向を見据えて、一歩一歩でも前に進みたい。

強くたくましく、そして優しい母の姿に近づけるよう。

 

そんな目標を備忘録として、久しぶりの日記をしたためます。

なかなか落ち着かない娘を、まあしゃーないか、と大きく見てね。

娘なりに母の想いをしっかり受け止めていますよ。

(と、書いたところで日を超えてしまった。)