2ヶ月ぶり!

3月はじめの週末,子どもたちが帰ってきた。

とはいえ,二人ともリビングにモバイルパソコンを持ち込み,仕事をしている。世では働き方改革が叫ばれているのに,関係ないらしい。

合間に,それぞれ楽しそうに仕事の話をしてくれるから,まだまだ余裕だと思うしかない。

 

1月と2月にお誕生日を迎えて34歳と30歳になった子どもたち。

せっかくだから二人分の大バースデーパーティやろうよ。と事前に呼びかけたが,はしゃいでいるのは私だけのようだった。

昔のようにケーキを準備しても仕方がないか,プレゼントも喜んでくれないだろうし。

結局,丁寧に掃除して料理を作るしかないという結論になった。

 

 

むろん,母は大混乱しながらも大喜び。

二人が帰ってきてるのだから土曜日午後のデイサービスには行かない,と駄々をこねられたら困るので,「二人とも今日はまた外出するって言ってよ」とささやいておいた。

 

全員が一緒に食事ができる日曜日のランチにご馳走を作った。初めて挑戦した牛肉のシュニッチェル。なかなか好評で,母もみんなと同じ約150gを平らげた。

 

 

問題は,月曜日の夜。

帰宅すると,さっそく,母は,「みんないたのに,どうなった?」と尋ねる。

曖昧ながらも楽しかった週末の記憶はある。

でも,たった二人の孫の名前がすぐに出てこない。誘導すると,名前は思い出したものの,帰宅中のエピソードをいくつか話しても心当たりがないらしく,「せっかくきてくれたのに,なーんにもしてあげられなかった」と残念そうに言う。

「ちゃんと封筒に名前書いてお小遣いあげてたよ」,と言うと,「それならよかった」というやり取りを数回繰り返す。

「わたし,最近,忘れてしまうことが多いみたい」と珍しいことを言うので,「年齢からすれば,立派なもんだよ」と元気づけたら,素直に「ありがとう」と答えてくれた。

 

楽しいことさえ忘れてしまって,忘れたことも忘れてしまうというのは,本当に不思議で,かなしい。

やさしく丁寧に接すると笑顔で反応してくれるが,話し手の内心を感知したり,状況を理解したりすることはできない。さっき言ったことも聞いたことも忘れるので,会話の積み重ねはできない。

自分の頭にある記憶を引っ張りだし,夢うつつのような話を脈絡なく口にすることも多い。

 

とはいえ,二人だけの日常では,言葉をやり取りして場を取りもとうと試みるしかない。

何度も聞いた昔話には,相槌をうって聞き流す。

「わたし,せっかく車の免許取ったのに運転しないできて後悔してる。運転してたら,今でも一人で簡単に●まで行ってこられるのに」という言葉には,「運転してた人でも,その歳になったら免許返上してるよ」等と合理的な返事はしないで,「そうだったねえ。残念だったねえ」と話を合わせる。

そして,母の元の自宅の●のことはできるだけ思い出さないように,別の話題を提供する。

どうだ。認知症の人との会話のコツを掴んでいるだろう。

 

 

母が理解できそうな言葉を選んで,ゆっくり丁寧に話していると,子どもたちが乳幼児だったころを思いだす。

ただ,決定的に違うのは,子どもたちは,言葉を発することができない年齢でも,こちらの言葉や感情を全身で受け止め,経験したすべての出来事を小さな頭に蓄積していると実感できたこと。それが子育ての楽しさだったんだろうと思う。

 

母とは,一方通行の言葉が行き交うばかりだが,目的は母の心が穏やかになること。

結局,それが私にも平和な時間を生み出してくれる。

 

 

ネットを駆使して時代の波の前線で活躍している子どもたち。

二人の日常とかけ離れた祖母の暮らしに時々接するのも面白いよね,と思う。

また,帰ってきてね。