かわいそうな家

母です。

 

10月なのに,2週続けて近畿圏を直撃する台風が来た。

深夜,窓が揺れるほど強い風が吹き,何かが当たっている音もしていた。

翌朝,門扉を開けると,近所の雑山から吹き飛ばされてきたらしい小枝や葉っぱが家のまわりに山積みになっていた。

さすがに放置できず,家にあった一番大きなビニール袋に詰め込んでいくと,5袋がいっぱいになった。

 

なのに,同じ市内にある母の家のことをすっかり忘れていたのは不覚。

数日後,お隣の方から電話をもらって慌ててしまった。

「うちには問題ないのですが,台風でどうやらお宅の波板の一部が破損したようですよ」と,遠慮がちに言われる。

晴天になった週末,様子を見に行くと,波板のビスが飛んでいただけでなく,2階の雨樋が途中で折れて,一部が庭に落下している。お隣の庭で見つかったという樋の破片もうちのものに違いない。

「実害は何もありませんでしたよ」と優しく言ってもらって,少しほっとする。

 

改めて,古びた家を一回りして眺めた。

夏の庭は1m以上の雑草で占領されていて足を踏み入れることもできなかったが,ようやく先月,剪定を終えてすっきりしたと安心していた。でも,改めて見ると,雑草がなくなった分,建物がむき出しになっていて寒々しい。

雨樋の破損に加え,台風に関係なく壁が剥がれ落ちている箇所がいくつか。昔,子ども用のプールとして使っていた水槽は黒ずんで植物がはびこっている。母が楽しみにしていた文旦の木は実をつけないまま数年が経過した。放置されている使いものにならない古びた道具類は,まとめて処分しなければと思う。

 

これがわたしの実家だ。そう思うと,情けない気分になるが,だからといってどうすればいいんだ。

 

母は,この家に帰りたい,どうなってるか見てみたいと繰り返し,その言葉を真に受けて毎週末同行したが,すぐに忘れてしまう。ケアマネさんの「聞き流す方がいいと思いますよ」というアドバイスに従って,今回は一人で訪れた。

 

かわいそうな家。でも,母の記憶にこれだけ懐かしい場所として残っているのだから,がんばったよね,と思う。 

わたしたちが育った家。子どもたちが駆け回った庭。そんな歴史は間違いなく刻んでくれているはず。

 

ここで新しい歴史を作ってくれる誰かのための小休止。そう思いながら,古びた門扉をそっと閉める。