夫の命日(2018.9.6 母)

   今日は,夫の20年目の命日である。

 

 知りあってから20年,結婚してから16年後に夫は亡くなった。

 夫は,私と対照的に社交的で人に好かれるキャラクターの持ち主だった。

 でも,今の若い人から見れば笑ってしまうほど保守的で,私が結婚後に仕事を始めることに反対し,もちろん自分が家事育児を担うことなど想定もしておらず,それなら実家の両親を頼りにしたいという私の転居計画に強く反対した。そんな希望を意に介さず仕事を持ってしまった私との間では,一時期大きな軋轢があった。

 そのうち分かってくれるさ,と気楽に構えて自分の計画通りの生活を進めてきた数年後,健康だったはずの夫に病気が見つかった。

 葬儀には,驚くほどたくさんの方々が訪れてくださり,たくさんの弔電や手紙をいただいたが,20年も経てば,多くの方々の記憶からは遠ざかっていくのは仕方がない。

 

 仕事でも家庭でも,たくさんの意欲と希望とチャンスを手にしていながら,無念にも病没してしまった夫の思いを等身大で受け止めることができるのは私しかいないのだろうと思う。人が亡くなるというのはそういうことだ,と60歳を過ぎた私は実感する。

 

 亡くなった夫の歳を数えても仕方のないことだが,元来素直で世の流れをキャッチしようと努める人だったから,きっとこの20年間の生活をともにしていれば,世の同世代の男性の中でも輝く個性を発揮する人になっただろうと身びいきにも思ってしまう。

 

満14歳と10歳で父を失った子どもたちは,40歳代の闊達な父の像をありありと記憶しているようだ。そんな父と不釣り合いに歳をとってしまった母の姿を見せたくないと精一杯の無理をしつつ,こんな父母が子どもたちに託す思いを受け止めて,難しい今の時代で活躍してほしいと改めて思う。