母の様子(2019.3.30) 母

土曜日の5時過ぎ,デイサービスから帰宅する母を迎えた。

いつもは袋菓子のおやつを置いているだけなので味気ないだろうと思い,文旦を剥いて一緒に食べようとした。でも,母は,「文旦」という言葉を聞くと「これは土佐のものでね」と何度も同じ講釈を始めるが,せっかく剥いた果肉を口にしようとしない。

 

このところ,平日のほとんどは,18時から20時までケアマネさんともう一人の方に来てもらって一緒にピアノで楽しみ,お弁当の夕食を一緒に食べてもらっている。

それが習慣になってしまっているからか,いつもとちがう状況に戸惑っているようだ。

 

しかたなく,早い目に晩ごはんしようね,と声をかけながら,台所に立っていたら,「あなたも早く帰らないといけないからね。おうちの人が心配するよ。」等と言う。

「わたしは,ママの娘よ。二人で一緒にこのおうちにいるんだよ」と言ったら,苦笑いしながら,「そんなはずはないでしょ。わたしは結婚したことないんだから」と言う。

 

その後は,「さっき来ていた人たちはどうしたの」「あいさつもしないでいなくなった」と5分間隔で言ってくる(そんなことはない)。でも,何度説明しても記憶が定着しないのだから仕方がない。

 

ご機嫌斜めだと思いつつ,お弁当は魚が多いからと思って買ってきたミニステーキ肉は追加で食べてくれたので一安心。でも,機嫌が良かったのは食事のときだけ。後片付けをしていても,よく理解できない話を次々としてきて,なんだか不安な様子。

そのうち,十分乾いていない食器を台拭きでぬぐって食器棚にしまおうとしだしたので,「おいといてね」と言ったら,さらに機嫌が悪くなった。

もう見ないことにして,「あとでお風呂に一緒にはいろうね」といったん2階の自室に退散。

ところが,母は,食器をしまう作業を中断して,すぐに2階まであがってきた。「どうするつもりなの。何も言わずにみんないなくなる」と怒っている。

このとき,まだ20時前。

 

風呂に入ったらすぐにベッドに行くことになるので,もう少し時間稼ぎをしようとしたが,今日は無理なようだ。

風呂上りに着替えるとき,パジャマを準備して自分で上半身を拭くのを待っていたら,濡れた体に脱いだセーターを着ようとするので,ちがうよ,,と声をかけたら,「好きなようにさせて。さっきからえらそうに言ってばかりだ」「クーニャンはちゃんと言うことを聞いてくれるのに」と声を震わせた。幼児に過ごした中国での思い出が,結婚した後の思い出よりも母にとって大切なのはいつものこと。

ついにこちらが泣きそうになる。

 

やっぱりプロじゃないんだよね。

家族として,できるときにはできるだけのことをしてあげようと思うが,それに応えてくれないと悲しくなる。

でも,認知症の人にとっては,家族の愛情よりも,刻々の現在の状態を見守りフォローしてくれる人がいることが一番なのだろう。

自宅で生活を続けて,短時間でも一緒にいることで,少しでも母の人生に何かいいことを付け加えることができればいいと思っていたが,それは自己満足にすぎないのかもしれないと思う。

 

その後,寝付いたと思っていたら,母はトイレに起きだし,失敗した模様。何度か声をかけた後,入ってみたら,紙パンツを流そうとしていた。慌てて制止し,紙パンツを救い出して,新しい紙パンツとパジャマのズボンを着せて寝かせた。

 

その1時間後には,またもや起きてきて,「どんぐりころころ」の歌を歌いだし,悲しくなったと言う。どうやら「ドジョウを困らせた」というフレーズが気になったらしい。明るく歌って,どんぐりも楽しかったっていう歌だよ,と言い聞かせて休ませた。