実家の片づけ(2018.11.11 母)

9時過ぎ,二度目の二泊ショートステイに母を送る。日曜日の送迎は家族がすることになっている。昨日の朝,腰が痛いと言って整形外科で薬をもらってきたので,伝達ミスのないように区分けして付箋を貼ったものを持たせる。そのほか,着替えと紙パンツと淋しくなったときのための昔の写真とカレンダーの裏に書いた簡単な手紙。忘れ物はないかな,と思って準備するのは,子どもたちが小さい頃を思い出させてくれる。

施設の玄関で職員の方に手を引かれていく母に「いってらっしゃい,楽しんでね」と声をかけるのも幼稚園や保育所に子どもたちを送っていったときと同じ。

送って行ったついでに,気になっていた実家の様子を見に行った。

6月の地震の直後に行き,食器棚から大量の食器が落下して割れている様子や本棚がベッドに倒れて,本が散乱している様子を確認したが,片付ける元気がなく,そのまま帰ってきた。その後,庭の剪定を頼んだ後にも寄ったが,家の中に入ることはできなかった。

夏から何度か激しい台風が来たので,気になっていたが,母を連れて行けず,週末の母不在のときには別の予定を入れてしまっていたので,気が付くと5ヶ月近く放置状態。

地震の後,実家の擁壁のひび割れを気にされていた隣家の方が在宅されていたので,挨拶ができたのはよかったが,その後,実家を点検すると,台風のせいか雨戸が一枚,庭に倒れていた。家の中の食器棚と本棚は当然ながら地震直後のまま。

あ~あ。と思ったものの,やはり片付ける気力はわかず,結局,将来処分するときまで放置するしかないのか,,と暗い気持ちで自宅に車を走らせた。

 

ところが,その途中,息子からラインの連絡。

11月の日曜日に帰れるかも,とは聞いていたが,え,もうすぐ帰宅するって? どうやら,夕べ,京都で高校の同級生たちとの集まりがあったらしい。

思わず現状を話すと,日帰りだというのに,一緒に片付けに行ってくれると言う。

早い目のランチを済ませて再度実家へ。

わたし以上に久しぶりの息子に,惨憺たる状態の実家を見せるのは心痛むところがあったが,背に腹は代えられない。これぞチャンスと,思い切って一緒に入った。

東京在住の息子は,あの地震を経験していなかったので,食器棚と本棚の惨状を見て少しショックを受けた様子だった。

それから2時間。わたしたち親子,こんなに働き者だった? と思うほど,せっせと動き回り,割れた食器を袋に入れて,本棚を落下した本やレコード類を片づけた。

久しぶりに風を入れてもらい,35年前にこの家の住人に幸せな気持ちをもたらせてくれた息子を迎え入れて,実家は,急に命を吹き返したようだった。

 

2年前,母のいない週末に何度か通って衣類等の整理をしていたからか,息子は,「思ったほど荒れてないやん」と言ってくれた。

 

とりあえず散乱した物を片づけた後,息子は,庭の雑草も引こうかと試みたが,根が深すぎて諦めた。今度,電動草刈り機を買って持ってこようということになる。

結局,割れた食器類を入れた袋,不要な化粧品類を入れた袋,母が昔参加していた俳句の同人誌,その他のゴミを乗せたら,車はいっぱいになった。

 

母が大切にしてきた家。今もなお,しょっちゅう「見に行きたい」と言い続けている家。母の宝物だったグランドピアノは,母も納得して知り合いのピアニストに引き取ってもらったのに,いまだに「置いたままにしているグランドピアノが心配」と言う。

もう母にこの家は見せられない。でも,母が元気でいる間は,少しでもこの家に元気でいてもらいたい。

 

今日の出来事を娘に報告すると,「じゃあ,今度帰ったときには,庭の雑草きれいにしようね」と言ってくれた。

なんだか,幸せな気分になれた週末だった。