金沢旅行 2019.4.18 母

 

先日,小学校以来の親友と金沢に2泊の旅行をした。

互いに何もかも熟知している関係。

高校生のころは,一人の男性を巡ってさや当てをしたこともあった。でも,数十年後の同窓会でその男性をみかけて,若い時代の錯覚ってこわいよねと言い合い,互いに自分たちの不覚を悟った。

だけど,私たち,その後はちゃんと見る目を養って,互いに自分に適した相手と結婚し,どちらも二人の子を設けた。

いろんなことがあったけれど,それぞれ一生懸命生きてきたよね,と等身大の互いを労うことができるのはうれしい。

 

小さな頃から,彼女はエキゾチックな雰囲気をまとっていて,魅力的だった。

会社員の父と専業主婦の母の家庭であることは同じでも,彼女は一人娘としてセレブな感覚を持った家庭で育ったのに対して,私の両親は不器用で倹約家だったから,彼女の洗練された生活がうらやましかった。

安い材料で栄養のある食事を作るのに熱心だった私の母が,遊びに来た彼女に黒豆を煮て作ったジュースを「葡萄ジュース」だと言って提供したことがある。彼女は,成人してからも「だまされた」と言い続け,認知症になる前の母は,だまされたあなたが悪い,あなたはスイカを出してあげても種の部分までしか食べない人だったよね,などと言いかえしていた。

 

いまや,どちらの父も死去し,どちらの母も認知症を患っている。

認知症の診断を受けたのは彼女の母の方が早かったが,私の母は,すでに彼女の母を追い越し,どんどん症状を悪化させている。

別居していたせいもあって,早くに母親を施設に入れた彼女の決断力に感心しつつ,私はいまだに同居している母にどう対応したらいいのかと考え,うろうろしている。

 

彼女の子どもたちは2人とも結婚してそれぞれ2人の子どもがいるから,いまや彼女は立派なおばあちゃんとして,4人の孫たちの育児支援に活躍している。

私の子どもたちは2人とも未婚で,まだおばあちゃんになれない私は,仕方なく仕事に熱中するふりをしている。

 

今回,数年ぶりに彼女と旅行したが,やはり話題の中心は母のこと,そして子どもたちのこと。

親との関係,夫との関係,子どもたちとの関係,仕事上の関係,プライベートの関係をどう調整しながら,自分らしく生活を楽しめるだろう,というのが共通のテーマ。

 

ただ,数ヶ月ぶりに会うと,彼女と私のテンポや感覚は少し違ってきたのかなと思った。

孫の面倒を見ることが多い彼女は,歩く速度もゆっくりと優雅である。それに対して,私は旅行中の散歩なのに,せかせかと歩いている。

日常の会話のほとんどは仕事上の問題で,自宅で向き合う母とまともな会話ができない私は,何気ない会話が苦手になっているようだ。それに対して,彼女は,娘たちや孫たちとの日常会話に慣れていて,女性らしく楽しむことを目的としたおしゃべりが上手だ。

普通の発言だと思った私の言葉に彼女がちょっとたじろぐ風だったので,自分がいつのまにか普通の会話ができなくなっていたことに気付いた。

男性は解決に向けた発言をするが女性は共感を口にするから会話がかみ合わない,という分析をした最近の書籍がある。まさに私は男性脳になっているのかもしれない。私は,いつのまにか味気なく惨めな生活をしていたんだろうな,と気付かされた。

 

それでも,何より彼女との時間が楽しいのは,味覚が共通すること。彼女の情報網で金沢の情報を事前に確認してもらっていたおかげで,どの食事もおいしく楽しめた。

 

多分,私たち,根っこの感覚ではつながっている。それぞれの生活状況に応じて,その時々のテンポや感覚は違うこともあるけれど,互いに相手とつながっていることを信頼できるのは家族みたいで安心できるよね,と思う。

彼女も,そんな感覚に同感し続けてくれていたらいいな,と思う。