母がいない! (2019.7.14 母)

 

 先日,母は,体験入所に引き続き介護付有料老人ホームに入所することになった。見学3件目で辿りついた施設である。

 

6月末,体験入所に送り出す日も,母は早朝から起きだしてピアノを弾いていた。

音が途絶えたので降りていくと,案の定,母は,パジャマと部屋履きのまま雨上がりの庭に出ている。

慌てて着替えさせたが,その後もなかなか落ち着いて部屋の中にいてくれないので,朝食を提供し,洗濯機を2回まわして干す合間に,ようやく自分の身支度をした。

 

前日までに衣類やタオルのすべてに名前を書いて準備し,お気に入りのぬいぐるみ,塗り絵と色鉛筆,ヘルパーさんが母のためにコピーしてくれていた童謡の楽譜と歌詞カード,母が昔描いた墨彩画の1枚,カレンダーの裏に大きな字で書いた私のお手紙,オヤツとして高知の芋ケンピなどを次々入れたら,結構な荷物になった。

10時過ぎ,母と着替えとグッズをクルマに乗せて出発。

 

5泊目まで,大きな問題なく過ごしてくれたことを確認して,入所契約に至った。

細やかな配慮の行き届いた施設で,安心できる。

 

6月は,母の入所に向けて準備しているうちに終わってしまった。

 

施設に入所しても,自宅と往復して,それぞれの場を楽しんでくれるのが理想だが,今の母にはそれは難しい。母とゆっくり自宅で時間を過ごすことはもうないのだと思う。

 

 

さみしいでしょ?

と親しい友人から言われる。

でも,少しちがうような気がする。

 

背負っていたリュックの荷物が急に空になって,一気に楽になったがバランスを崩してしまいそうで,立ち止まっているという感じ。

 

数年前から,この家は母にとって生活しやすい空間になるよう工夫してきた。

でも,ドアに貼り付けた「トイレ」「洗面所」という紙や,私に電話するときに押すボタンを示す貼り紙は,もう無意味だ。

自分の夫や子どもたちや孫たちの名前と関係が分からなくなった母のために作った簡単な家系図や家族の写真を貼っている壁もむなしい。

 

私の24時間を母と自分に配分する必要もなくなった。

毎朝,何度も二階の自室と階下をばたばたと往復してきたのに,朝の時間を自分の準備だけのために使っていいなんて気楽すぎる。帰宅時刻が遅くなっても誰にも連絡しなくっていいって,何と自由なんだろう。

自宅近くでのホットヨガ中に救急車の音が聞こえるとドキリとするが。その都度,母は自宅にはいなかったんだと思い出す。

 

母がいない。

その状態に慣れて,単身生活を整えるためには,しばらくかかりそうだ。