はじめての一人暮らし (2019.7.25 母)

1982年,満26歳で結婚するまで実家で生活していた。結婚して初めて親から解放され,やっと自分の足で歩けるようになったと感じたときの喜びは忘れられない。

 

その2年後,長男が生まれ,両親から日常的に子育てを助けてもらうようになった。その4年後には長女が生まれた。家族4人と両親の6人で食卓を囲むことも多かった。

両親は,子どもたちと少しでも長く一緒にいられることを喜んでくれたが,夫への遠慮もあっただろう。夫の側も,イクメンになれない人だったとはいえ,私の両親に世話になることに申し訳ないと気を遣っていただろう。

 

1997年の夫の病気発覚後は,そんな双方の遠慮を気にする余裕もなくなった。

両親のさらなる協力を得て,私は仕事を休んで夫との時間を過ごし,当時,中学2年生だった長男と小学4年生だった長女の世話を両親に任せた。

 

翌年,夫が満46歳で亡くなり,2000年には父が満79歳で亡くなった。

子どもたちは,そんな環境の変転にかかわらず,素直に成長して10代を過ごし,それぞれ自分らしい方法で進路を選んでくれた。

父死亡後に同居するようになった母が,思春期の難しい時期の孫たちを適度な距離感で見守ってくれていたことに感謝する。

 

子どもたちが社会人になってから,10年以上が経つ。

二人暮しになってから,母に少しずつ認知症の症状が出てきた。それも含めて,二人の生活を楽しんできたつもりだったが,最近の急激な症状の進行についていけなくなり,先日,母は施設に入所した。

自分の選択とはいえ,認知症の予想外の早い進行に慌てるように決断し,私の生活も,突然,予想外の早さで変化した。

 

それから1カ月弱。私は,まだ母の不在に慣れていない。

考えてみれば,この歳になって初めての一人暮らし。

 

家族の帰宅を待つこと,家族の帰宅時間に合わせて自分の予定を立てること。近隣の鉄道駅まで家族をクルマで送迎すること。そして,一緒に過ごす家族が喜んでくれる食事を準備すること。

そんな日々の暮らしは楽しかった。

そういう予定を優先して,自分の仕事や趣味の時間を先送りすることは,ちっとも苦痛ではなかった。 

 

私が20歳代のころは,女性は25歳までに結婚して家事育児に専念することが普通だと思われていた。

でも,たまたま,一緒にいたいと思う人と結婚して実家を出て自由を獲得できたうえ,自分が社会に直接提供できる仕事を得られ,続けてこられたのは幸せだった。

世間から違和感をもって見られることなく,自分の希望に沿った生活をするのは,小心者のくせに自我が強い私には,ちょうどよい立ち位置だったのだと思う。

 

ただ,振り返ってみれば,常に,私は誰かと同居していた。私の人生は,そんな家族に支えられてきたのだと思う。

 

大学生だったころ,一人暮らしにあこがれていたんだったと思い出し,いまごろになってそんな昔のあこがれを実現できたことに戸惑っている。

何時に起き,何時に出かけて,その間に何をするのか。何時に帰宅して,どんな夕食を作って何時に寝るのか。すべてを私の都合と気分で決めていいなんて,60歳過ぎて初めての経験だ。

 

この生活に慣れて,自分の欲望を前提に自由な生活をどんな風に作っていくのかを決めるためには,まだ時間がかかりそうだ。

まずは,ずっと誰かが一緒に生活してくれていることで感じていた安心感はもうなくなったことを受け入れることが必要なんだろうと思う。