連休 2019.5.7 母
子どもたちが家を出てから10年以上が経つ。
最初は,進学や就職という子どもたちの新生活に一緒にわくわくしていたせいか,淋しさを意識することはなかったが,最近,子どもたちは各人の生活の場で充実した日々を送っていて,実家への帰省は非日常なんだと実感するようになった。
30歳を過ぎた子どもたちが別居しているのは当然で,同世代の友人のほとんどは孫がいるのだから,単身でとびまわっている子どもたちと一緒にいられないことを嘆くのは自分でもおかしいとは思う。
10連休,最初の3日間はGWに仕事から離れられない娘のところに泊まりに行き,中盤の4日間は帰宅した息子と過ごした。
息子とは,母の入所候補である介護施設2軒を見学に行き,娘とも感想を共有して,母の介護の方針について選択肢を増やすことができた。
その後,息子は,すっかり荒れ果てていた庭を一緒に手入れしてくれた。
連休最後の2日間,おかげでスッキリした庭に出て,茂りすぎた枝葉を剪定して楽しめた。
最近,老朽化してきた自宅のメンテナンスをする意欲も失われていたが,三方が道路に面していて日当たりのいい敷地は貴重だ,と長所を数え上げて,この家,大切にしたいな,と久しぶりに思うことができた。
そういえば,以前は,子どもたちから相談を受けることが多かったが,最近は,私が子どもたちに相談するばかりになっている。自分の能力や容量が年齢とともに減少してきたことを実感する。
顧客に一定の満足を提供することが私の仕事の中核なのに,自分のプライベートを家族に相談しなければならないのはいかがなものか,と反省もする。
でも,加齢とはこういうことなのかもしれない。
人に頼ることを恥ずかしいと思うことなく,家族や身近な人には自分の実情を率直に伝えて,支援を得られることができる幸せを感じることができればいいと思おう。
金沢旅行 2019.4.18 母
先日,小学校以来の親友と金沢に2泊の旅行をした。
互いに何もかも熟知している関係。
高校生のころは,一人の男性を巡ってさや当てをしたこともあった。でも,数十年後の同窓会でその男性をみかけて,若い時代の錯覚ってこわいよねと言い合い,互いに自分たちの不覚を悟った。
だけど,私たち,その後はちゃんと見る目を養って,互いに自分に適した相手と結婚し,どちらも二人の子を設けた。
いろんなことがあったけれど,それぞれ一生懸命生きてきたよね,と等身大の互いを労うことができるのはうれしい。
小さな頃から,彼女はエキゾチックな雰囲気をまとっていて,魅力的だった。
会社員の父と専業主婦の母の家庭であることは同じでも,彼女は一人娘としてセレブな感覚を持った家庭で育ったのに対して,私の両親は不器用で倹約家だったから,彼女の洗練された生活がうらやましかった。
安い材料で栄養のある食事を作るのに熱心だった私の母が,遊びに来た彼女に黒豆を煮て作ったジュースを「葡萄ジュース」だと言って提供したことがある。彼女は,成人してからも「だまされた」と言い続け,認知症になる前の母は,だまされたあなたが悪い,あなたはスイカを出してあげても種の部分までしか食べない人だったよね,などと言いかえしていた。
いまや,どちらの父も死去し,どちらの母も認知症を患っている。
認知症の診断を受けたのは彼女の母の方が早かったが,私の母は,すでに彼女の母を追い越し,どんどん症状を悪化させている。
別居していたせいもあって,早くに母親を施設に入れた彼女の決断力に感心しつつ,私はいまだに同居している母にどう対応したらいいのかと考え,うろうろしている。
彼女の子どもたちは2人とも結婚してそれぞれ2人の子どもがいるから,いまや彼女は立派なおばあちゃんとして,4人の孫たちの育児支援に活躍している。
私の子どもたちは2人とも未婚で,まだおばあちゃんになれない私は,仕方なく仕事に熱中するふりをしている。
今回,数年ぶりに彼女と旅行したが,やはり話題の中心は母のこと,そして子どもたちのこと。
親との関係,夫との関係,子どもたちとの関係,仕事上の関係,プライベートの関係をどう調整しながら,自分らしく生活を楽しめるだろう,というのが共通のテーマ。
ただ,数ヶ月ぶりに会うと,彼女と私のテンポや感覚は少し違ってきたのかなと思った。
孫の面倒を見ることが多い彼女は,歩く速度もゆっくりと優雅である。それに対して,私は旅行中の散歩なのに,せかせかと歩いている。
日常の会話のほとんどは仕事上の問題で,自宅で向き合う母とまともな会話ができない私は,何気ない会話が苦手になっているようだ。それに対して,彼女は,娘たちや孫たちとの日常会話に慣れていて,女性らしく楽しむことを目的としたおしゃべりが上手だ。
普通の発言だと思った私の言葉に彼女がちょっとたじろぐ風だったので,自分がいつのまにか普通の会話ができなくなっていたことに気付いた。
男性は解決に向けた発言をするが女性は共感を口にするから会話がかみ合わない,という分析をした最近の書籍がある。まさに私は男性脳になっているのかもしれない。私は,いつのまにか味気なく惨めな生活をしていたんだろうな,と気付かされた。
それでも,何より彼女との時間が楽しいのは,味覚が共通すること。彼女の情報網で金沢の情報を事前に確認してもらっていたおかげで,どの食事もおいしく楽しめた。
多分,私たち,根っこの感覚ではつながっている。それぞれの生活状況に応じて,その時々のテンポや感覚は違うこともあるけれど,互いに相手とつながっていることを信頼できるのは家族みたいで安心できるよね,と思う。
彼女も,そんな感覚に同感し続けてくれていたらいいな,と思う。
荒れた庭(2019.4.7) 母
今週は寒い日も多かったから,ようやく桜が満開。この週末はお天気がよく,あたたくてお花見に最適だ。
朝,母をショートステイに送った帰りに寄ったパン屋さんでは,9時過ぎなのに行列ができていた。乗馬に行く途中に桜の名所があるので,早い目に出て途中でサンドイッチ食べながらのんびり行こうと計画したが,みんなお花見に行くんだ。この時期,ウキウキしてしまうよね。
乗馬からの帰りは渋滞を避けるために初めて高速に乗った。いつもは1時間以上かかるのに,30分で帰ってこられたのでごきげん。珍しく投票場にも行って帰宅。
午後には雨がぱらつくかもという予報を信じて部屋に入れていた洗濯物をもう一度外に干す。
夕方,洗濯物を入れるついでに久しぶりに庭を見渡して,はじめて惨憺たる状態になっていることに気付いた。
考えてみれば,昨年は,地震の後,猛暑が続き,その後には大型台風に見舞われた。
庭の植物が傷めつけられ続けていたのは分かっていたが,年に1度は来てもらっていた造園業者は忙しいだろうと思い,連絡を先延ばしているうちに今になった。それに,昨年は,庭より母の方が大切だった。
でも,その母が,最近,あたたかい朝につられ,いつのまにか室内用のスリッパのまま庭に出て,カラスのエンドウをちぎってくることが何度かあった。
おかげで,花を咲かしてくれるのは雑草くらいになったのねと思っていたが,なんと庭中がカラスのエンドウでいっぱいになっている。
「雑草でも,花が咲くと可愛いのよ」とよく母が言っていたが,たしかにさびれた庭一面にピンクの花を咲かせてくれているのはありがたい。
だけど,よく見渡すと,昨年の自然の脅威のせいだろうが,モッコク薔薇の大きな枝が数センチを残して折れかけている。折れかけた先もわずかな栄養を得て新芽を出しているのが気の毒だが,もう無理だと思う。昨夏,枯れかけていると覚悟していたハナミズキも復活の気配はなく,枝先に鋏を入れると中央まで茶色の乾いた幹になっていた。
10年ほど前には,母が,台所の野菜かすをせっせと埋めていたおかげで,毎年100個以上の実を収穫して送り先に困っていた小夏の木には,去年も今年も実がならず,今年は,枝や葉っぱにも元気がない。
そのほか,無残に茶色くなった葉っぱや枝があちこち。
沿線駅から少し遠くても庭が広いところがいいね,と言って20年以上前に移り住んだこの家。
転居したころは,毎週ホームセンターに行って,庭用品や新しい苗や肥料を買い込んで,みんな夢中だったのに,いまやこの状態。かわいそうにと一人で反省。
母の様子(2019.3.30) 母
土曜日の5時過ぎ,デイサービスから帰宅する母を迎えた。
いつもは袋菓子のおやつを置いているだけなので味気ないだろうと思い,文旦を剥いて一緒に食べようとした。でも,母は,「文旦」という言葉を聞くと「これは土佐のものでね」と何度も同じ講釈を始めるが,せっかく剥いた果肉を口にしようとしない。
このところ,平日のほとんどは,18時から20時までケアマネさんともう一人の方に来てもらって一緒にピアノで楽しみ,お弁当の夕食を一緒に食べてもらっている。
それが習慣になってしまっているからか,いつもとちがう状況に戸惑っているようだ。
しかたなく,早い目に晩ごはんしようね,と声をかけながら,台所に立っていたら,「あなたも早く帰らないといけないからね。おうちの人が心配するよ。」等と言う。
「わたしは,ママの娘よ。二人で一緒にこのおうちにいるんだよ」と言ったら,苦笑いしながら,「そんなはずはないでしょ。わたしは結婚したことないんだから」と言う。
その後は,「さっき来ていた人たちはどうしたの」「あいさつもしないでいなくなった」と5分間隔で言ってくる(そんなことはない)。でも,何度説明しても記憶が定着しないのだから仕方がない。
ご機嫌斜めだと思いつつ,お弁当は魚が多いからと思って買ってきたミニステーキ肉は追加で食べてくれたので一安心。でも,機嫌が良かったのは食事のときだけ。後片付けをしていても,よく理解できない話を次々としてきて,なんだか不安な様子。
そのうち,十分乾いていない食器を台拭きでぬぐって食器棚にしまおうとしだしたので,「おいといてね」と言ったら,さらに機嫌が悪くなった。
もう見ないことにして,「あとでお風呂に一緒にはいろうね」といったん2階の自室に退散。
ところが,母は,食器をしまう作業を中断して,すぐに2階まであがってきた。「どうするつもりなの。何も言わずにみんないなくなる」と怒っている。
このとき,まだ20時前。
風呂に入ったらすぐにベッドに行くことになるので,もう少し時間稼ぎをしようとしたが,今日は無理なようだ。
風呂上りに着替えるとき,パジャマを準備して自分で上半身を拭くのを待っていたら,濡れた体に脱いだセーターを着ようとするので,ちがうよ,,と声をかけたら,「好きなようにさせて。さっきからえらそうに言ってばかりだ」「クーニャンはちゃんと言うことを聞いてくれるのに」と声を震わせた。幼児に過ごした中国での思い出が,結婚した後の思い出よりも母にとって大切なのはいつものこと。
ついにこちらが泣きそうになる。
やっぱりプロじゃないんだよね。
家族として,できるときにはできるだけのことをしてあげようと思うが,それに応えてくれないと悲しくなる。
でも,認知症の人にとっては,家族の愛情よりも,刻々の現在の状態を見守りフォローしてくれる人がいることが一番なのだろう。
自宅で生活を続けて,短時間でも一緒にいることで,少しでも母の人生に何かいいことを付け加えることができればいいと思っていたが,それは自己満足にすぎないのかもしれないと思う。
その後,寝付いたと思っていたら,母はトイレに起きだし,失敗した模様。何度か声をかけた後,入ってみたら,紙パンツを流そうとしていた。慌てて制止し,紙パンツを救い出して,新しい紙パンツとパジャマのズボンを着せて寝かせた。
その1時間後には,またもや起きてきて,「どんぐりころころ」の歌を歌いだし,悲しくなったと言う。どうやら「ドジョウを困らせた」というフレーズが気になったらしい。明るく歌って,どんぐりも楽しかったっていう歌だよ,と言い聞かせて休ませた。
最近の母と私(2019.3.9 母)
今日は土曜日。5時前にデイサービスから帰宅した母を迎え入れる。
一人にしておくと私がいることを忘れてしまうので,できるだけリビングに一緒にいて,相手をする。
最近は,脈絡なく夢の中のような話をすることが多いが,今日は,自宅用のフリースのチャックが変だと言い続けていた。チャックの始まりをかみ合わせられずに苛立っている。「こうしたらいいよ」と代わりに締めたが,自分の気に入る方法ではなかったようで,納得しない。約30分,あーでもない,こーでもない,やはりおかしいと言い続けていた。その間,私は,適当な相槌をうちながら,久しぶりの快晴のおかげで気持ちよく乾いた洗濯物を畳む。
日が長くなってきて,6時前でも明るい。退屈した母が,「庭を見てくる」と言うので,「気を付けてね」と声をかける。何に気を付けたらいいのか分からないはずなので,自分でもおざなりな声かけだと思いつつ。
案の定,母はすぐに戻ってきて,「転びそうになった」と言う。足元を見ると,庭用の草履タイプのスリッパをとんでもない方向で履いていた。こんな履物を置いていたのを忘れていた。あわてて脱がせて靴箱にしまった。
最近,母から目を離せないので,リビングにモバイルパソコンを置いて,相手をしながら多少の作業をしようと試みている。でも,母はテレビに興味は持てず,新聞の見出しを何度も読みあげているが意味が分かっていない様子。ピアノを弾くよう頼んでも「音がおかしくなった」と言って続かない。一人で何かをして楽しむことができなくなっているのだ。当然,今日も,私の作業は進められない。
退屈のあまり,「もうお風呂に入ろうか」と6時過ぎに言い出したので,「先にごはんしようね。ちょっと待ってね」と何度か言って時間稼ぎをしようとしたが,30分も持たなかった。
たまの自宅での夕食だからと,柔らかい牛肉を焼いて出したら,喜んで食べてくれた。何でも食べて,美味しい,と言ってくれるのはありがたい。
最近,こんな母と正気で向き合うことに疲れて,私は,夕食時からワインを飲みだすことが多い(言い訳)。「もういいや」と思ってしまえる幸せ。
90歳を過ぎた母が,身体の健康状態に問題なく生き続けてくれていることは貴重だ。そして,何もかも忘れてしまい,時間をもてあましながら日々を過ごしているのは平和だ。
でも,そんな日常に付き合い続けたからといって,母がより幸せになっているわけではなさそうだ。安心できる環境を確保することに以外,母の何を応援することを目標にすればいいのかが見えない。
時間も精力も無駄に費やされ,吸い取られていくような気分になるのは,そのせいかもしれない。
母に施設で生活してもらう選択をすれば,私の日常は戻ってくるだろう。でも,その決断をすることには躊躇する。
ふと昔のことを思い出す。
長男が生まれた後,予想した以上の充実感を感じる一方,育児を言い訳に自分の仕事を持つための努力を中断してはいけないとも思った。
他人に容易に心を開かなかった長男を受け入れてくれる幼稚園が見つかったおかげで,安心して自分の時間を持てるようになった。あのときに抱いた罪悪感は,その後,子どもたちが外での経験を重ねて成長していってくれたおかげで,ほとんど忘れてしまっていた。
それとこれとは似ているようだが,真逆かもしれない。
あのころは,子どもたちを社会にデビューさせることと私が自分の時間を確保することは同じ方向を向いていた。でも,すでに半分あちらの世界に行っている母が施設で生活するようになれば,さらに母をあちらの世界に押しやることになる。今回の決断を躊躇するのは,多分そんな思いがあるからだろう。
いまや人生の旬を迎えて活躍している子どもたち,能力低下を自覚して失敗しないよう注意するようになった私,その先を歩いている母。人が歳を重ねるひとつらなりを感じながら,どうするのがいいのか,しばらく悩みそうだ。